使える博士は使えるが、使えない博士は使えない

メルマガでリンク張られてたので読んでみたら古い記事だった。

博士が必要とされる社会に、ノーベル賞根岸氏 (2ページ目):日経ビジネスオンライン

 

あのさ。使えない奴率が十分に高いだけなんだよ。修士だろうが博士だろうが使えないものは使えない。日本の入試制度や院試制度を考えたら学歴なんかより出身大学で選ぶ方がなんぼか正解なの。

下働きが欲しいから真面目で言うことをひたすらこなせる奴なら誰でも入れて適当に論文指導してればいいと思ってるだろ?そういう奴が多すぎるんだよ。

 

そういう風に言われたくなかったら、まともな博士号を持った人を輩出するとかさ、企業で十分な実績を上げた奴に博士号配るなりしたら?

 

と書くと日本がおかしいように聞こえるかもしれないけど、多分そんなことはない。博士号至上主義な欧米は欧米でそういうツッカエナイのを大量に抱え込んでると思うよ。俺の業界で面白い発想で仕事をしているような学生は海外にもあんまいないし。

 

ま、就職に必須だから優秀な奴は全部進学する、ということは優秀な博士率はそれだけの理由で上がってるかもしれんけどね。

 

まてまて。だとすると日本の方がモラトリアム時代が短くてすむ、ということは学費も少なくて済む、ということは格差解消的に日本の方が圧倒的に優れているということじゃないのは?

 

そういう観点で一つ論文書けそうだな。